「笑顔あふれる寄宿舎へ」 福岡高等聴覚特別支援学校
寄宿舎指導員 切通 義和
2024年6月発行 全聴教会報第105号掲載
【寄宿舎指導員になったきっかけ】
2017年3月、義兄でもある前田浩先生が大阪市内に立ち上げた大阪ろう就労支援センターの開所記念パーティーに参加した折、全国各地より駆けつけられたろうの先生方と出会い、色々とお話をさせて頂きました。
その約10日後、図らずも寄宿舎指導員へのお誘いを頂きました。急なお話でもあり迷いましたが、何よりも両親がろう者の家庭で育ち、手話を活かした仕事に就きたいという以前からの強い希望が叶うことがありがたく、寄宿舎指導員の道へと進むことに決めました。
【舎生との関わり】
就職した当時には、わたしが学生時代から存じていた聴覚障害者のお子さんも多く、仕事の面でもそれがプラスになっていたように思います。
寄宿舎での生活については、自宅で生活していた時は夜遅くまで、 LINEでのやり取りやゲームに熱中する等、生活リズムが乱れた状態のまま入舍する舎生が多く、当校では、夜22時の点呼時に携帯電話を預けることで「ここのルールは刑務所みたいに厳しすぎる。」という舎生もいました。(この舎生は現在、公務員として頑張っています)
また、掃除や洗濯も自宅ではあまりやったことがないという舎生も多く、洗剤や柔軟剤の入れ方や洗濯機の使い方なども教えるのですが、操作マニュアルを洗濯機1つ1つに作成し、備えてあります。
食事については、朝食を食べ慣れていない、食べたくない、好き嫌いが多い等、食生活面の課題のある舎生が多く、以前は残食が多かったです。現在は舎生の申し出に合わせ、職員がおかずやご飯の調整を行っているため、残食はほぼありません。
舎生の健康管理については、表情や受け答え、学校からの情報などを踏まえ、どの舎生にも声掛けを行い、職員間での情報共有を行っています。
保護者との連携については、週末の帰省時に連絡帳を持たせるのですが、家庭環境も様々であり、また、舎生に対し帰省した時に保護者に伝えるようにと言っていても、伝わっていないことも多々ありました。そのため、健康状態や寄宿舎での様子と合わせ、重要な連絡事項等も記述するようにしています。
【寄宿舎での役割】
以前に長らく勤めていた会社では、設備や建物の営繕、職場内の安全管理、火災予防訓練の計画など、様々な経験をさせて頂きました。前職の経験を活かし、寄宿舎内の営繕活動や、安全巡視に努めています。また室温管理について、通常の温度計では夏場の熱中症指数が判断できないため、前職で使用していた熱中症予防計を置くことで適切な温度管理が出来、舎生の熱中症予防に役立っています。
安全指導担当の時には、2016年の熊本地震の現地取材、朝倉や久留米での水害後の復旧ボランティア活動、聴覚障害者の被災状況などについて舎生たちに話をしました。その中で、寄宿舎では安全に守られているかもしれないが、地元へ帰ると自分の存在を地域の皆さんに伝えておかないと、助けを求めても気づいてもらえないこと、災害発生時の避難場所、避難経路を家族とも確認をしておくようにと話をしました。このような避難や危機管理については、社会に出る前に身につけておいた方が良いのではないかと思います。
【寄宿舎の意義】
寄宿舎には、学年の先生と連携して子どもたちの生活を守る役割がありますが、またろう・難聴の生徒たちのコミュニティ(生活共同体)ともなるものと私は思います。彼ら、彼女らは寄宿舎で仲間と出会い、集団生活の意味を知り、手話言語を学び、聴覚障害者としてのアイデンティティが育っていきます。
今日、補聴器の性能が進歩し、人工内耳で生活する子どもが増えており、一方手話メインで言語生活する生徒も少なくない状況になっており、コミュニケーション手段の多様化を生み出しています。だからこそ生徒全体のコミュニケーション方法の共有化が求められるのではないでしょうか。寄宿舎集団においても、みんながわかりあえるコミュニケーション環境を意識したいと思います。
【映画「ヒゲの校長」から】
各地で上映されている映画「ヒゲの校長」の中で、全国の聾学校の教育内容が手話法から口話法へと大きく方針転換がなされた瞬間、私の父(ろう者)の思い出と重なり、涙が出ました。「子どもの時は家族も嫌い、学校も嫌い、寄宿舎も嫌いだった。」という生前の父の言葉。小学部1年から高等部3年まで寄宿舎で生活していた父は口話教育の時代に、家族も、先生も、そして同じきこえない立場のろう教員でさえ手話を使ってくれなかったため、相手が何を言っているのかがわからないという一種の暗闇の中で育ちました。また、昨年春に103歳で亡くなった祖母が亡くなる3日前に初めて使った手話が「ありがとう」でした。口話万能視の風潮の中で、もしかすると家族や先生方も、手話を使いたくても使えなかったのではないか、そしてずっと手話による教育が出来ていれば、私の両親や家族ももっと生きやすかったのではないかと思います。それだけに、学校や寄宿舎を選んで良かったと思ってもらえるような環境作りに私なりに貢献していきたいと願っています。
寄宿舎指導員となり7年目に入りましたが、積極的に手話を使ってコミュニケーションを取られる先生方も多くなっているように思います。また、避難訓練などで使う手話を写真に撮り掲示する等の工夫を凝らして、より舎生に伝わりやすくなりました。
「伝える大切さ」から「伝わる大切さ」へ。これは、実際のろう者の講演会前に行われたテーマの訂正ですが、「伝える」は一方通行で、伝わったかどうかの確認が必要だとの思いにより、テーマの変更を行ったそうです。私も、常日頃より「伝わる」ための事後確認を大切にしなければならないと強く感じました。
【挑戦し続ける心】
舎生たちに「将来の夢は?」と聞くことがあるのですが、「ない。」とか「わからない。」という回答が多いように思います。私も夢を持てない高校生活を送っていた一人であるので、「夢実現に向けた」声掛けや取り組みが出来ればと思っています。
現在、学校では、テニス部顧問や手話同好会顧問も務めさせていただいています。その役割の1つとして、全国高校生の手話によるスピーチコンテストに挑戦する生徒の支援などを行っていますが、自分の気持ちを言葉として表現することは、社会に出た後も大切なことなのでと励ましています。また、手話スピーチコンテストだけではなく、これからも舎生の夢実現に向け、「出来ない」を「出来るに」を合言葉に、一緒に笑顔で頑張ってまいりたいと思います。